基本図面について

二つの組立図。B4版に折りたたまれて保管されていました。              [株式会社日立製作所 鉄道ビジネスユニット(以下日立)にて撮影]
二つの組立図。B4版に折りたたまれて保管されていました。              [株式会社日立製作所 鉄道ビジネスユニット(以下日立)にて撮影]

   C621号機の組立図が2種類あり、そのどちらも実機と異なるという事実は公にされることなく図面庫の中で長いあいだ封印されてきました。2015年4月、開封の時を待っていたかのように二葉の図面は66年間の想いを一気に語りはじめました。しかし、その言葉は難解で、我々の理解をはるかに超えて妄想だけが膨らんでいきました。終戦直後、旧国鉄の技術者たちがGHQとのやり取りの末、D52形の改造案による妥協を余儀なくされた経緯がこの二つの図面にしるされているのだとしたら、それはそれで一級の歴史的資料といえるのかもしれません。けれども、C62の原初の姿を「図面」に求めようとすればどちらを選ぶべきなのか、半年のあいだ私は悩み続けました。

左がB版、右がA版の組立図。細ペンで見事に墨入れされています。                    縮尺は1/30(日立)
左がB版、右がA版の組立図。細ペンで見事に墨入れされています。            縮尺は1/30(日立)

  2015年(平成27年)の秋、二様の図面の違いが解明されないままに、できるだけ実機に近いほうを選ぶことで設計をスタートさせました。

  1947年(昭和22年)7月26日作成の図面をA版、1948年(昭和23)年1月18日作成のものをB版とよぶことにします。実機に近いのはB版です。現在京都の鉄道博物館で保存されているC621号機とはだいぶ異なる点も多いのですが、B版を基本図面とすることにしました。作成年の古いA版には原初の姿がはっきりと見て取れるのですが、ランボード、蒸気ドーム、運転室などC62を決定づけるあの独特の形状とはずいぶんかけ離れているように見えるので、最終的にはB版を選択することにしました。

 

 


B版の組立図。図面の補修箇所が多く、原図の体裁を保てない状態です。折り目は破損し、見開きできない状態になっていました。(日立)
B版の組立図。図面の補修箇所が多く、原図の体裁を保てない状態です。折り目は破損し、見開きできない状態になっていました。(日立)

A版

図面作成年月日: 1947年(昭和22年)7月26日

 煙室扉とペチコート・煙突中心線の距離が850mmのA版図面に対しB版では988mm。煙室内の体積を大きくして燃焼効率を上げる必要があったからではないかと思われます。

B版

図面作成年月日:  1948年(昭和23年)1月18日

 蒸気室弁芯棒とシリンダー棒の間がA版では560mm、B版では570mm。

 

 「組立図」は設計図ではありません。竣工時に描かれる「完成結果」を記録した図面です。したがって、公表されているC621号機の竣工時よりも前に別のC621号機(A版)が存在していたことになります。これは衝撃の事実です。


 B版に記載されている注意事項。5号機以降、寸法の異なる箇所が鎖線や( )寸法で明記されていました。日立製作所では慣習として引き出し線や( )寸法を組立図に追加記載して変更箇所を記録しているそうです。

 B版には5mm~50mm程度の変更が随所に見られますが、1~4号機と明らかに異なるのは炭水車後部の形態です。

 二点鎖線で図示されているように5号機以降は大幅に変更されています。現在保存されている1号機は5号機以降の炭水車と同形です。下の写真のような箱型形状の炭水車がB版の図面には描かれています(テール側水取入口蓋を囲う水平な笠木)。

70.9.23  呉線・広島機関区 C59162(日立製作所製造)
70.9.23 呉線・広島機関区 C59162(日立製作所製造)
炭水車の台車はC59,C60,C61で使われていたものを代用。
炭水車の台車はC59,C60,C61で使われていたものを代用。
炭水車の連結器の高さ。1~4号機までは855.5mm。5号機以降は5.5mm低い。
炭水車の連結器の高さ。1~4号機までは855.5mm。5号機以降は5.5mm低い。
先頭部の連結器の高さは880mm。炭水車とは30mmの差があります。
先頭部の連結器の高さは880mm。炭水車とは30mmの差があります。

宝迫さんからお借りした写真。(2014年10月、ご自宅を訪問したときに見せて頂きました。)
宝迫さんからお借りした写真。(2014年10月、ご自宅を訪問したときに見せて頂きました。)

 左の写真は、1948年(昭和23年)5月、山口県下松市の日立製作所笠戸工場で出庫を記念して撮影された写真です。前列左端に座っていらっしゃるのが宝迫一郎さん。D51の製造にも携わった方です。下の写真は現在の宝迫さん。ダンボールデゴイチの前で講演をしてくださいました(2014年10月下松市・市民交流センターにて)。