機体の設計製作         島  英 雄


図面・資料の提供     株式会社日立製作所 鉄道ビジネスユニット

工房・資材の提供     九州ダンボール株式会社

総合プロデュース         有限会社  Imagination  Creative

1972年6月、函館本線長万部駅構内を並走するC62とD51
1972年6月、函館本線長万部駅構内を並走するC62とD51

 D51形ダンボール蒸気機関車(D511162)は、17の都市を巡り終えた2016年1月、福岡県筑後市の九州ダンボール株式会社原紙倉庫内に敷設した特設工房で修理を行い、再び展示の旅をはじめました。

  

 いっぽう、D511162号機を修理している傍らで製作を進めて参りましたC62形蒸気機関車がついに完成しました。2017年9月28日から10月15日迄、福岡県筑後市の九州芸文館にて公開、そのあと、全国に向けて展示の旅を開始いたします。

 

 

島 英雄

 

 



挿入写真

 このHPに掲載したC62の写真は、故濱勲氏が撮影したものです。濱勲氏は昭和11年大阪市に生まれ、技術者として、またアマチュアの鉄道カメラマンとして活躍し、平成18年、勤務地の東京八王子で逝去されました(享年70歳)。亡くなる直前まで全国の鉄道車両を撮り歩き、なかでもC62はお気に入りだったようで、残されているネガ・アルバムには他の車両よりもたくさんのカットが収められていました。濱氏の想いを私のシロクニ製作の願いに込めてここに掲載させていただきます。

 写真の使用にあたり、実妹の濱純子さん、鉄道資料保存会の皆様方のご協力を頂きました。厚く御礼を申し上げます。

参考図面

 山口県下松市にある株式会社日立製作所鉄道ビジネスユニット(旧日立製作所交通システム社笠戸事業所)に保管されているおびただしい数の図面の中から、C62形1号機に関する図面を送っていただいたのが2015年5月26日のことでした。1.5mを超すような大きな図面の中には「組立図」と記載されたものが2葉ありましたが、何の疑問も持たずに部材の設計をはじめたところ、この二つの「組立図」は細部がことごとく異なり、実機(京都梅小路の鉄道博物館に保存されているC621号機)と比べてみてもかなりの違いが認められました。よりどころとなる寸法が定まらないまま材料の試験や工法の検討に入りましたが、2015年9月、部品の設計を開始するにあたり、作成年の新しいものを基図(もとず)とすることに決めました。詳しくは本HP「基本図面について」のページを御覧ください。


ナンバープレートについて

C62形蒸気機関車は、1号機から21号機までが日立製作所、22号機から36号機までが川崎車両、37号機から49号機までを汽車製造が、それぞれ昭和23年(1948年)~24年(1949年)にかけて製造しました。69年経ったいま、49号機以降一台も作られていないことから、本機に50番をつけようと思いましたが、気になるのは「銀河鉄道999」の存在でした。あの機体には[C62 50]のプレートが輝いていて、今でも宇宙のどこかで走り続けています。

 やはり[C62 51]がふさわしいと思いました。